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ひまわり

ひまわり 1970年イタリア
製作/カルロ・ポンティ、アーサー・コーン
監督/ヴィットリオ・デ・シーカ
音楽/ヘンリー・マンシーニ
出演/ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤン二
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 20年ぐらい前にNHK教育かレンタルビデオで観て感動した記憶があり、いつかまた観ようとDVDを大分前に購入していた。父が所有していた映画音楽のレコードの中にこの映画のテーマ曲が収録されていて、子供ながらに哀しい感じのする良い曲だなと記憶していた。映画音楽などを含めた、俗に言う「イージー・リスニング」の中ではベスト10に入る。

 映画はソフィア・ローレンやマルチェロ・マストロヤンニなど自分が幼少の時の大物俳優が出演して、古い映画が好きな自分にとってそれだけで十分観るに値する。また戦争の悲劇や男女の愛を描いた名作としても映画史に名を残している作品である。

 しかし物語の結末を知っている事もあり、前ほどは胸に込み上げてくるものが少なかった。上記のような単純な理由だけなのかと、同様のテーマの作品「シェルブールの雨傘」(1964年フランス・ドイツ)と比較し分析してみた。

以下の点は両方の作品に共通する
●愛し合う男女が戦争で引き裂かれてしまう(男が出兵する)
●女は待ち続けるが男は帰らない
●時は過ぎ、二人は再びめぐり合うが、その時には既にそれぞれ家庭を持っている。
●その結果は、二人が望んでいた将来ではなく戦争という抗しがたい流れに身を任せた結果である。

つい1、2年前に「シェルブールの雨傘」を約20年振りに観た時には話の筋は分かっていたのに昔以上に感動した記憶がある。この違いは何なのか?

「シェルブールの雨傘」は「ひまわり」とミュージカルであること以外に何が違うのか?
●愛し合う男女が若く純粋である(男は20歳、女は17歳)
●戦争で別れなければならない二人の心象を平等に深く掘り下げていた。
●別れた二人のそれぞれの結婚は本当に望むものではなく、寂しさや不安からのものだった。
●再び出会った二人はお互いの時間はもう既に戻す事が出来ない事を理解していた。

「シェルブールの雨傘」のギイとジュヌヴィエーヴは愛し合っていて、別れてしまったら哀しすぎて死んでしまうと思っていた。しかし大人になりお互いに家庭を持ち「死んでいない自分」を自覚していた。そして守らなければならないものも・・・。ラストの夜の雪のガソリンスタンドのシーン。再び出会った二人は多くを語らずまた別れてしまう。会えなかった時間を埋める言葉や言い訳は何も語らない。若かった自分、若い時に信じてきた価値観を捨て、大人の自分を受け入れなければならない悲しさ。
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「ひまわり」は「シェルブールの雨傘」の6年後に製作された。基本的な物語が良く似ているので、細かい設定を替えなければならなかったと思う。
●愛し合う男女は大人の男女である。
●戦争で二人は引き裂かれたが、帰還しようと思えばできた男が女の所に戻らなかった。
●二人の心理描写が浅かった感じがする(特に男の心理は殆ど描かれていない)
●男と女は家庭を持ち、時間は戻せないのに、男はできもしない泣き言をいった。

 恐らく「ひまわり」の方が本当の男女の心理に近い表現をしていたと思う。
ずっと待ち続けた男に家庭があると判って自分も家庭を持つ女。会いに来た女に未練があり、わざわざ会いに行く男。しかし再び会う時には昔の約束を忘れずプレゼントを買う男。昔、男にプレゼントされたイヤリングを付け男に会う女。できない事は判っていても「二人で遠くに行ってやり直そう」という男。本当に生身の男と女である。お互いの白髪や顔の皺を確認し合うシーンが泣かせる。もう時間は戻せない。最後の駅での別れのシーンのソフィア・ローレンの演技に目頭が熱くなる。

「ひまわり」は映画的な格好の良さを追求せずに等身大で描いた事と、男女の心理描写の浅さ(愛し合う気持ちの深さ)がいま一つ感動に深みを与えなかったのかもしれない。

しかし良い作品である事は間違いなので、まだ観た事が無い方には是非ご覧頂きたい。

個人的な評価 ★★★☆(5点満点白星は0.5点)

by sade-adu | 2010-01-11 23:23 | 映画1970年代